Enjoy 瞑想ライフ

瞑想している日常と旅について書いています

瞑想と宗教②

 

瞑想が宗教と混同される…というか、宗教と結びついたものと思われる…のは、

前回書いたように、「修行者が瞑想を日課としているようなイメージ」だけでなく、

「わからない部分が多い」ということも関係していると思うのです。

 

人はぜんぜん理解し得ないような考え方に出会ったとき「あれは宗教のようだ」ということがあります。論理的ではないというニュアンスも含みますね。

 

瞑想のメカニズムや瞑想しているときの状態について、またはなぜ瞑想をするのか?が理解しにくいので、「宗教ぽい」と感じたりするのかもしれません。

 

説明を求めても明確な答えが得られない…という感じもあるのかもしれません。

 

ただ、宗教は、わからない部分があったとしても何かを「信じる」ことが前提となっているのに対し、

 

瞑想は(特に超越瞑想の場合は)、何かを信じる必要はありません。

 

そこは宗教とは違うところかなと思います。

 

ただ、「やってみよう」と決めるときに、ほんの少しかもしれませんが、「えいっ」と飛び込む勇気が必要です。

 

新しいことをやるときはみんなそうですけど、だいたいのことは想像できますよね、やるとどんな感じか…

 

瞑想を始めるときに、瞑想している状態がどんなものか想像しにくいのも、ちょっと飛び込むのに勇気がいるのかな?と思います。

 

では、なぜその勇気が生まれるのでしょう?

 

それは「直感」です。

「なんかよさそう」という感覚です。

 

ご自身の直感を信じるタイプの方は、わりと早めに「やろう」と決められますが、そうでない方はいろいろ考えて迷うことがあります。

 

「宗教みたい」というとき、ネガティブなニュアンスが加わるのは日本独特かもしれませんね。

「宗教」は、もともとは人の心を豊かにするもののはずなのに…。