TM(超越瞑想)を教える仕事をしていて、気づいたことがあります。
それは、私たちは(特に日本人は…?)努力することが当たり前、努力することに慣れているということ。。。
TMは努力のいらない瞑想法でとても簡単にできます。
でも「瞑想」と聞いたときに「無念無想」とか「寝てはいけない」とか、座禅のルールを思い起こす方が多いのです。
「姿勢を正す」もその一つですね。
座禅をやったことがない方でも座禅のルールは何となく知っている、またはそれが瞑想というものだと思っている方が多いのには驚きます。
そして「自分には瞑想は無理」とあきらめてしまっている方も多いのかもしれません。
TMは努力のいらない瞑想法で簡単にできますからとても楽なんですが、最初はそこのところがちょっとわかりにくい方もいます。
つまり、今まで何かを学ぶ場合には、何らかの目標や「型」または努力する方向性のようなものがあったので、それらを自然に求めてしまうのです。
そういう方は「どこをどう努力したら良いのか?」を無意識のうちに探していて、「努力しなくていいんです」と説明しても少し戸惑いを感じられたりします。
私たちはこれまでの人生の中で努力することに本当に慣れているんだなぁと感じます。
リラックスするよりも何かをやっていることの方が多くなっていて、なかなかリラックスできません。
でもTMを始めてほんの数日のうちに、「これは今まで習ってきたこととは何かが違う」ということが理解され始め、努力しない自然な瞑想法を習得されるのです。
そうすると普段の生活でもリラックスする時間、努力しない時間が増えていきます。